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 イラク・サマワに派遣されていた陸上自衛隊部隊員達が、全員無事に完全撤退を完了しました。本当に心から彼らの無事任務完了を嬉しく思っています。そして正直な気持ち何よりほっとしています。
 
 私は初当選後すぐに、イラクへの自衛隊派遣の是非を議論するために設置された「イラク復興支援特別委員会」の委員に選任されました。それが私の政治家としての葛藤の始まりだったと今振り返ると思います。
現憲法・法体系の下で、新たな立法措置をするにしても、本当に自衛隊をイラクに派遣することがどうしても必要で、正しい判断なのか。余りにも派遣隊員が自分の身を守るには不十分な武器使用要件など問題が多すぎ本当に悩み、採決後もその気持ちは消えませんでした。この経験が郵政民営化法案の採決で反対に至る伏線になっていたことも事実です。
 正直なところ、大事が起こらず全員帰国できることを確信していた政治家は少なかったのではないでしょうか。アメリカの一番の理解者であり、国内での環境整備も整っていない日本を攻撃することが、国際政治の枠組み上いかに大きな効果をもたらすかは容易に想像できたからです。イラク復興支援特別措置法に基づいた二年半に渡る活動は、総派遣人員5500人余りにのぼり、133か所の公共施設(学校や診療所、道路、浄水場)の復旧・整備をし、給水活動では5万3500トンを供給し、医療技術指導も行いました。全員無事の完全撤退を可能にしたのは、何よりも派遣隊員諸君の「同じ目線」に立った誠実で「下心」のない行動でした。国民をあげて彼らの素晴らしい活動実績に大きな拍手を送りたいと思います。

 しかしこれからも航空自衛隊約200人は、米軍や国連などの物資輸送を行うため、引き続きクウェートに残ります。今後はバグダッドやイラク北部にも活動空域が更に広がることにもになります。現地武装勢力は携帯型対空ロケット弾も保有しているとされていますから、まだまだ緊張は続きます。更には政治の問題として、今後の海外派遣のありかたも議論を深める必要があると考えます。

                            
                             7月18日  江藤 拓










 全く遺憾なことに北朝鮮はミサイル発射にふみきり、それをうけて政府内では、明白に日本を標的としていると思われる(明白と思われるは矛盾してはいますが・・・)敵基地攻撃について議論が活発になっています。
 私としては以前から敵対的ミサイル基地等に対する攻撃能力を自衛隊が持つべきことを主張してきました。防衛予算が毎年削られていく中で、極めて高額で整備まで時間のかかるミサイル防衛システムを導入するより、現実的で効率的だと考えるからです。
現在の航空自衛隊の各機は、空対空ミサイルは搭載できても、地上のミサイル基地等に対する有効な攻撃手段を持っていません。第一航続距離が足りないのです。
「誘導弾等による攻撃を防ぐために他に手段がないと認められる限りにおいて誘導弾等の基地をたたくことも法律上の問題としては自衛権の範囲内として可能」との見解もすでに国会答弁の中で述べられたこともあります。
国際間の問題は粘り強い外交努力によってまずは解決されるべきもので、アジア周辺諸国との友好関係に悪影響があるとの指摘もわかります。現憲法では武力による問題解決はしないとしていますし、交戦権を放棄しているのですから、あまりに憲法軽視だと批判もあるでしょう。
しかし政府の責任として最も大切なことは「国民の生命と財産を守る」こととの判断から、戦後60年を経て、一歩踏み出すことが必要ではないでしょうか。現在政治的にかろうじてより所となりえるであろうものは「武力攻撃対処法」くらいですが、やはりここに至っては国民投票法案を早期に可決成立させて国民の声で憲法を時代に合ったものに改憲することが必要だと考えます。
我々のすぐ近くに強力な攻撃能力を備えた国があり、全面戦争さえ辞さない構えを見せています。重大な危機感を持って事に当たらなければなりません。



                             7月11日  江藤 拓










 橋本龍太郎元総理大臣が68歳という若さでご逝去されました。橋本龍太郎元総理は26歳の若さで初当選以来、連続で14回当選され、厚相・運輸・蔵相・通産大臣、自民党政調会長、幹事長などを歴任された真に政策通の政治家でした。
これまでの政治・行政の流れにメスを入れ、改革の口火を切ったのが正に橋本内閣でした。6大構造改革(行政、財政、経済、金融システム、社会保障、教育)を掲げ、98年6月には中央省庁改革基本法を成立させました。97年4月には、消費税率を3%から5%への引き上げも断行しました。
テレビでは「友達がいなかった」だの、「怒りっぽい」だのいろいろ言っていますが、私が秘書の立場で見た橋本龍太郎元総理は、人情味のあるそして本当に情の厚い方でした。

 親父・江藤隆美は代1次海部内閣で運輸大臣として入閣し、私も政務秘書官の職に付かせていただきました。成田空港問題など様々な懸案に取り組ませていただいた訳ですが、そこには親父と橋本龍太郎大蔵大臣(当時)との深い友情と、信頼関係がありました。
その後の総選挙で消費税引き上げの影響も大きく、自民党は極めて厳しい選挙を闘うこととなり、現職の運輸大臣だった親父は選挙期間中半日しか地元に帰れず、まさかの落選を喫してしまうことになりました。
落選後数ヶ月して東京で有志の方々が親父を励ます会を開いてくださったのですが、橋本龍太郎元総理はマイクを握り締めて、「江藤先生、すまなかった貴方に負担をかけすぎてしまって・・・」と言って絶句され、人目を憚らず男泣きされた姿が忘れられません。
稀代の政治家橋本龍太郎元総理のご逝去は本当に残念ですが、日本を愛し、外交にも大きな足跡を残された大先輩のご意思を、我々若い政治家が受け継いで行かねばなりません。
家族一同、橋本龍太郎元総理のご冥福を心からお祈り申し上げます。   合掌


                             7月3日  江藤 拓







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