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災害対策特別委員会海外視察
2008年7月20日〜7月27日




 災害対策特別委員会の派遣で中国・イタリア・ルーマニアに行ってきました。スケジュールがタイトで厳しい旅でしたが、メディアを通して知ることと、実際に自分の目と足でなければわからないことが多くあったと思います。
派遣要員は自民党佐田玄一郎筆頭理事、自民党江藤拓、民主党松原仁理事、共産党高橋千鶴子理事の4名でした。
まずは成田を発って北京に向かいました。

1北京上空

2縦横無尽に走る
高速道路網

3空港内のモノレール

4北京空港
メディアで報じられた通り、北京上空(1)はスモッグで視界が大変悪かったのが印象的でした。しかしスモッグを通して見える町並みは、急激に発展する中国(2)を強く感じさせるものでした。特にその広大な面積の中の各ターミナルをモノレール(3)で繋ぐ北京空港(4)はアジアの物流の中心であろうとする中国の強い意志を示すものであります。

5重慶富田総領事館(中央)と四川省政府高官の陳次昌氏(右)

6都江堰

7都江堰

8都江堰

9青城山も被災し
閉鎖中

すぐに北京空港から乗り継いで成都の空港に向かいましたが、この空港も想像以上に立派なもので、イタリアやルーマニアの空港が一地方都市の空港に見えた程です。着いたのはもう夜も遅かったのですが(5)、大雨で道路にはかなり水があふれている状態でした。インフラの整備はまだまだな印象です。翌朝から早速被災現場である都江堰(トコウエン)(6〜8)、青城山(セイジョウザン)(9)などを視察しましたが、震源地のブンセンには入れませんでした。現地にはまだ多くの遺体がそのまま埋まっており、伝染病などの発生を防ぐために、今も必死の作業中とのことでした。作業員も完全防護服を着用しているとのことで、あまり無理を言うのは中国政府にも迷惑なのであきらめました。しかし、我々の行けるギリギリの所、震源地から約90kmの青城山の様子は想像とはかなり違ったものでした。
もちろん完全に崩壊した建物も多くあるのですが、倒壊を免れて、外見はそんなにひどくないのです。

10都江堰のテント村

11大規模な仮設団地

12子供の無邪気な明るさが何よりの救い

13仮設団地内
しかしほとんど全て、住居不可能とのことで70%以上が解体を待つだけの状態でした。見たところ日本とくらべると柱も細く、筋交いなども見られずコンクリートの中の鉄筋も細いようでした。
それでも、その倒壊の危険のある建物の一階には商店が再開しており、中国人のたくましさを感じながらも、日本ではありえないことですし二次災害が心配です。
その後、住居を失った人々の仮設住宅団地を何箇所か訪問しました。(10〜13)
住むところを失った人が、500万人以上いるとのことでしたので一体どうなっているのかと思いましたが、震災からたった2ヶ月で大規模な仮設住宅が作られていました。これは正に驚きで土地は全て国有であるとはいっても、一ヶ所で1万人を超える仮設住宅の建設は正直想像を超えるものでした。
私は正直なところ、共産党の下にあっては下々の者にたいしてはもっと冷淡で、一部の特権階級の者が厚遇されているのかと思っていました。はじめは「一番いいところだけ見せているのでは?」などと疑ってしまいましたが、

14ボランティアで来ていた若い理容師の男性
あらゆる所に仮設住宅が建てられ助け合っている姿を見て、私の認識の誤りであったと反省しています。
それに多くのボランティアの姿(14)が見られたのも印象的でした。仮設住宅は日本のものと比べれば広さも十分ではなく、台所も風呂もトイレも共同のものですが、日本で阪神淡路大震災が起こった時、全く資材が足りず、仮設住宅の建設に大変時間がかかってしまったことを考えると素晴らしい対応力です。中国では、8月中には全ての被災者を仮設住宅に移す予定だとのことで、日本も災害多発の国として学ばねばならないことだと思いました。
災害の視察と離れますが、中国での2日間の滞在中思ったことを少し書きます。
まず北京オリンピックについてですが、中国は急速な経済発展を成し遂げ、その原動力、シンボルとなっているのがオリンピックでしょう。中国にとってオリンピックの開催は大きな経済効果が期待されていましたが、どうも現地では必ずしもそうは受け取られていないようです。それは中国はあまりにも大きく、東京オリンピックの様に国内全体に及ぼす影響は大きくないということが一つあります。更には他の地方都市から見て、上海ばかりインフラの整備などが進んでいることなどに不満の声もあるようです。
これまで共産主義統制の下では当局に対する民衆の抵抗は限定的でしたし、メディアに出ることも多くありませんでした。しかしインターネットの発達は情報の管理を困難にし、リアルタイムに中国全土で起こっていることが流れ、それに対して住民が結束して当局に対して破壊活動をするようになってきています。滞在中にも川で溺れた女の子の死因の背景について住民が怒り、当局の機関を襲った事が現地の英字新聞にも載っていました。新興の金持ちの一部は異常な特権階級意識を持ち、貧富の差は拡大する一方で汚職なども大きな問題となっています。

15宿泊ホテル裏の
様子


成都の街はとても美しく道にはゴミ一つ落ちていないのには驚きました。しかしホテルの窓から見える一般住民の暮らす裏通りは全く別世界(15)で、とても豊かさを感じられるものではありません。オリンピックを直前にしてその目標も、「完全なるオリンピック」から「大きな事件を起こさないオリンピック」に言い方も変わってしまったという声が多く聞かれました。

16防災庁オペレーションセンター

17同オペレーションセンター

18災害発生時の中央コントロール室

19国立地球物理学・火山研究所
ある中国の関係者は私に「正直なところ、早く大きな事件もなく終わって欲しいというのが本音です」と言っていました。

イタリアは火山国でたびたび地震による被害に遭っており、首相直属の「防災庁」という独立した機関(16〜19)が設けられており、これは全ての役所や軍なども統合して災害対策にあたる権限を持っています。

20ベルトラーゾ長官

21長官との意見交換会
トップはベルトラーゾ長官(20・21)という方で元々医師であり、政治家ではなく民間人です。日本では縦割り行政の弊害が度々指摘されますが、イタリアでも「防災庁」立ち上げまでには5年かかったとの事です。ここでは、国の機関だけではなく、ボランティア組織も平時から計画の中に組み入まれており、災害だけではなく、2005年に教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀の際には、全世界からバチカンに詰め掛けた巡礼者をコントロールする上でも大いに役にたったとの事です。いろいろな施設を見せてもらいましたが、技術的な面は彼らも認める通り、日本の方が3歩も4歩先に進んでいるようです。

22空港職員による窃盗を防ぐためにラッピングするサービス

23津嶋ルーマニア大使

24イリシア開発・公共事業・住宅省副大臣(中央)

25副大臣との意見交換会
しかし、いざという時に持てる力をいかに有効に早く使うかという体制作りの上では学ぶべき点が多くあったと思います。

それから最後の訪問地ルーマニアに向かいました(22〜25)。ルーマニアも地震の多い国で、日本の様に小さな地震が度々くるというのではなく、30年に1度来るといわれる地震は必ず大きいとの事です。前回の大地震からすでに31年目に入っており、今回大地震が何時来てもおかしくないといわれ少々あせりました。
ルーマニアは今から19年前にチャウシェスクの独裁が終わり、今ではEUの一員となっておりますが、社会資本整備はまだまだこれからという印象は否めません。

26JICAが全面支援しているフロレアスカ緊急病院。前医院長と

27緊急病院内を視察

防災対策にも力をいれている様ですが、いま一つ議会がうまく機能していないという声が多く聞かれました。ここでは特に目を引いたのはJICAの貢献(26・27)がいたる所にみられたということです。チャウシェスク体制崩壊後、本当に何も無くなってしまった時に初めに手を差し伸べたのが日本であったとのことで、我々日本人に対しては好意的でした。地震の研究も「地震災害軽減センター」(28・29)や「ブカレスト土木工科大学」(30・31)などで熱心に行われておりましたが、多くの学者が日本での研修経験を培っており、もう一度訪日して更に勉強したいという熱意を感じました。

28地震災害軽減センター訪問

29同センタ所長イアンコビッチ氏と

まだまだ報告しきれないほど、いろいろなことがありますが、その中でもイタリアの防災庁長官の言われた「災害は人と人を結ぶものである」という言葉を最後に皆様にお伝えしたいと思います。
復興には、大きなお金が必要

30ブカレスト土木工科大学訪問

30同大学にて
ですが、それ以上に「助けあう心」「人の絆」の大切さを改めて知らされた旅でもありました。

尚、今回の海外派遣中には再び東北で地震があり、大きな被害が発生しましたので、自民・民主両筆頭理事が相談して、緊急帰国も考え国会に問い合わせましたが、視察の継続を命じられ続行したことを申し添えます。



            7月30日  江藤 拓






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